マリコスト・ルーム倉田まり子


ギャラリー1984





1984年1月16日 兵庫県尼崎朝日オートセンター

ラジオの公開番組だったそうです。巨大中古車センターに特設ステージが組まれました。

(撮影:Kepcoさん)







1984年4月27日 東京都 三鷹市下連雀の鮮魚店

(撮影:M・コネリー ※上段左除く)

小生の当時の自宅から、徒歩3分ほどの場所にまり子さんが来ました。こちらの写真はステージで無い上に、素人がコンパクトカメラで
撮ったものなので、無関係な人が多く映っている都合上、見づらいとは思いますが、かなりトリミングをしております。


出会いは突然やって来る!その日の昼下がり、自宅でぼんやりしていると、買い物帰りの母が「あそこの魚屋さんに倉田まり子が来る
んだって!」と私に告げました。夕方頃来るということで、「あと2時間足らずでまり子さんに会える!」という緊張と、「さてどうしよう?」
という迷いで頭は一杯!とりあえず服装は、2ヶ月前に「エキサイティングミニ」のレコードの抽選で当たったトレーナーがこれまた偶然
あったので、それに決定。それとそのアルバム「エキサイティングミニ」、サイン用マジック、コンパクトカメラを持っていざ出陣!



お店の入り口には「本日○○時、倉田まり子来る!」のような文言の張り紙がありました。



さてその鮮魚店に入って聞いてみると、まり子さんはもう到着していて、今取材中とのこと。自分がファンである事を告げると、「ファンの
方なら先に会わせてあげよう」とお店の方の粋なはからいで店の奥の住居部分の食堂へと案内されました。食堂のテーブルの正面に
はまり子さん、周りには取材スタッフや付き人の方、お店の店主さんがいました。会話をしていたまり子さんが私に気づき、「誰だろ
う?」というよう表情をすると店の方から「ファンの人だって」と声をかけてくれました。銀色のコートのようなものを着たまり子さんは本当
に別世界の人のような美しさでした。私が着ていたトレーナーにすぐ気づいてくれて、「あっ、私のトレーナー着ている!」と言ってくれま
した。それから取材は一時中断し、握手やツーショット写真(上段左の写真)の撮影、持って行ったアルバムにサインをして頂きました。



その後また取材の続きとなった為、私は店内へと戻りました。店内にはまり子さんからプレゼントされたらしい「全曲集のカセット(小生
未所有)」が飾ってありました。それから約10分くらい経ってから、まり子さんが店内に現われました。店の入り口はお客さんが黒山の
人だかりで、店内には一瞬どよめきが起きました。まり子さんは真っ先に小生の下に駆け寄ってくれました。何しろその場では唯一のフ
ァンだったもので・・・



気さくに話しかけてくれるまり子さんに何か話題は無いかと考え、場所が魚屋さんということで、「子供の時に魚で食あたりして死にそう
になったエピソード」を話すと「えー!何で知ってるんですか?」とかなり驚いていました。でもこの事は「近代映画別冊・倉田まり子特
集号」に載っているではないですか!やはり予習は大事ですね(笑)。そしてまり子さんは「これから事務所が変わって、仕事が女優業
中心になるかもしれない」と今後の事を話してくれました。まり子さんの話し方は初めて会う私にも拘らず、友だちのように気さくな人柄
の印象でした。



それから、店に来てくれたお客さんたちにサインやら、写真撮影のサービスをしていました。サインといっても近所のおばさん方が「芸能
人だから書いてもらっておこう」みたいで、ノートやレポート用紙のようなものが大半でした(写真中段)。それでも懸命にサインをしてい
るまり子さんに、ただただ見とれるばかりの小生でありました。最後にはお店からのプレゼントの花束が渡され(写真下段)、まり子さん
のお仕事は終了しました。帰り際、私に顔を向けて「さよなら」と言ってくれました。後にこれが本当の「タレントとしてのさよなら」になる
とは、その時は知る由もなかったです。



自宅に帰ってから思い出したのですが、「HOW!ワンダフルのシングルジャケは何故2種あるのか?」「避暑地の出来事の歌詞にペリエ
とライムの違いがあるのは何故か?」と聞きたいことを聞けなかったことでした。会った瞬間頭の中が真っ白・・・とはまさにこのことです
ね。



ところで、このお店での取材の内容は未だに分かりません。「鮮魚店の業界紙」なので一般では入手しづらいからです。一体どんな内
容だったのかな?



あれからもう20年が経とうとしています(2004年4月23日記)


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