マリコスト・ルーム倉田まり子




資料編






表紙(右は拡大写真)にも、サンデーズとして加入したばかりのまり子さんが登場しています。






「歌手未満」であったためか、まり子さんは「まったく未知の新人」と紹介されています。






この時点で所属レコード会社はキングと決定していて、当初のデビューは9月を予定していたようです。




このレッツゴーヤングは、徹頭徹尾、音楽番組としての本来の姿を追求し続けたということが、成功した原因ではないかと思うのです。(中略)これ
はとりもなおさず、一般の視聴者、レコードの購買者の方々が、より高度なものを求めて、すべての音楽の場面に対して、それぞれのしっかりした
選択の目を持ちつつあるということでしょう。ですから実力ある歌い手、より純粋な音楽が求められるのでしょう。ただ単に、有名な歌手を並べて持
ち歌を歌わせるだけだったり、表面を見て楽しませる歌手を使ったものには、だれも飽きたらなくなっているのは、厳然たる事実なのですから。(作
曲家、レッツゴーヤング司会・都倉俊一氏・談)


この都倉俊一先生の言葉から、レッツゴーヤングが音楽番組として、高いグレードを目指していたことが伺えます。


グラフNHK・1978年5月号より


(情報提供:まちゃとさん)






サンデーズの名称が公募だったとは私も知らなかったのですが、結果として「放映日が日曜だから」という至極単純な理由付けのネーミングだった
ようですね。他にはどんなネーミング候補があったのでしょうか?キャンディーズの引退があるまでは、サンデーズは男性のみの構成でした。


グラフNHK・1977年4月号より






レッツゴーヤングの公開録画は月曜日の夜ということで、開場時間の午後5時半に中・高校生が行くのはなかなか難しかったはずですが・・・^^;


グラフNHK・1978年1月号より






サンデーズ加入直後にNHKでの歌番組「ヤング歌の祭典」にまり子さんも出演していたようです。総勢100人に及ぶ若手歌手タレントの出演という
のも、70年代のアイドルラッシュを象徴していますね。


グラフNHK・1978年5月号より






(画像にマウスポインタを置くと、別画像ご覧になれます)


レッツゴーヤングが誕生した、1974年から1980年までの簡単な歴史が分かる特集ページです。初期の年代の放送はNHKにもVTRが残っていない
らしく、どんな雰囲気の内容だったのか今では分からないのが惜しまれます。


グラフNHK・1981年7月号より








          リハーサル中かな?       待ち時間のひととき…変わった室内スポーツですね(^^)


雑誌記事より(情報提供:まちゃとさん)




「そよ風さんがやってきた サンデーズ1979」




(資料提供:ちゅうばんさん)


まり子さんがレッツゴーヤングのサンデーズ新メンバーとして参加し、


翌年に歌手デビューした直後のころの芸能誌記事です。


「歌って、踊れて、かわいくて」と3拍子揃ってると書かれています(^^♪






数ヵ月後、新サンデーズメンバーによるNHKホール前での芸能誌特写記事においても、


同じ衣装を着ているまり子さんが見られます。




レッツゴーヤングへ






                                                                                                                                 



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